2009年3月18日(水)   走行200km


  多賀町の廃村・山村巡りと高室林道〜高取山ふれあい公園〜大萩

                        
AT:多賀町・東近江市


今回のスタートは多賀町芹川ダム。

今では車の進入を規制されるところとなってしまいました。



ダム湖畔には一周できる遊歩道(林道より狭い道)があります。
ダムを後にして、多賀町の山腹に張り付く、廃村&限界集落を訪れます。このあたりは鉱山の関係なのでしょうか? 山腹を登った先に集落や廃村が点在しています。

まずは前回燃料切れのリベンジで、後谷&屏風集落へ。
屏風集落へは、地図によっては道路が登山道扱い程度で、後谷には道路が通じている表記となっています。
しかし実際は屏風が現役集落なのに対し、後谷が廃村化しています。


山道に入ると、お決まりの10km制限の標識。
後谷と屏風の分岐点です。まずは直進し、後谷へ。



後谷の入口です。
最盛期の昭和11年には人口218人を有する集落だったようです。
また以前は「うしろだん」と読んだようですが、現在は「うしろだに」と表記されています。

ここも他の廃村同様、車が無造作に・・・
ナンバーのついた車も止まっていましたが、人の気配は全くなく、家々もそれなりに荒廃しています。
集落最奥には堰堤の工事風景が。


堰堤手前、つまり後谷集落最奥から入口方向を見ています。
集落最奥には、比較的新しいジープタイプの車両が・・・
再び二股に戻り、今度は屏風への急坂を登坂。

別れのすぐ先には車止めのチェーンもありましたが、この日は開放されていました。
ここは現役の限界集落です。
一番手前の青い屋根のお宅には、おばあさんが住んでらっしゃいました。
他にも人の営みを感じさせる、現役の集落です。
しかしこのあたりのどの集落と比較しても、廃村化した場所と条件的に変わるものは感じられない。
唯一日当たりがここはすこぶる良好な地域という程度か? 
他の同じような山上の集落はすでに荒廃&廃村化している。


集落はこの手のところにしては、異常に明るい!
次に少し戻って「桃原」へ。

画像はその入口です。


ここも坂を上り詰めると、まずは地区の集会所があります。


比較的新しく、手入れされた家屋が多いのですが、人は見かけません。
寒いところなんですが、南国のような雰囲気が・・・
集落の終点です。道路が上下二股に分かれて、いずれもその先で突き当たって終点となっています。
桃原集落の外れにある神社です。

入口には一部ロープが張られ、参道もかなり荒れています。
更に奥へ入り、「向之倉」へ。

橋を渡り、コンクリート道を登って行きますが、ここが今回のベストスポットでした。


かなり上って、木々の間からはじめに見える光景。
程なく突き当たります。
突き当たりは小広場になっていて、車が数台置けるスペースがあります。

道路は発達しているわけではありませんが、周辺を含め廃村の雰囲気をよく残しているところです。

地図の道路が正確でないため、場所はおおよそということになります。

集落終点手前にあった標識へ。
バイクで進みましたが、狭い歩道でした。
100mも行けば終点で、神社があります。
これがそのカツラの木。

20本くらいの幹が1まとめになった、立派なご神木です。

直径は5mほどはあろうかという巨木でした。

地図の道路が正確でないため、場所はおおよそということになります。

この季節ならでは、と思うのだが、草の枯れた崖を登ることが出来、1軒の立派な門を構えたお宅を拝見することが出来た。

廃村も多々回っているが、このように門構えが立派に残っているのは極めて珍しいと言えるのではないか?
門の奥には赤い立派なお屋敷が。
床はめくれ、中は荒れ果てています。
一番奥の家ですが、梁部分は立派です。
本日のハイライトはこのお宅。
床は今にも抜けようとしていますが、比較的状態の良い新聞が散乱していました。
日付を見ると、昭和42年3月18日となっています。私が見た中では3月30日付が一番新しかったので、少なくともこの頃までは、ここで人の営みがあったということになります。
そして左下は求人広告です。入社時の年収¥300,000と書かれており、時代の流れを感じます。
下は新聞に挟まった上体で見つかった当時のチラシ。
今は寂れてしまった彦根市の銀座商店街のチラシでした。

日当たりがよくなく、適度に湿度を保っていたことで、このような状態を保てたのでしょう。
次に甲頭倉へ。

入口には立派な鉄柵が作られており、一般立入禁止のようである。
柵の中の車のところには、この柵の入口にあるお宅の息子さんがいらっしゃったので声をかけてみた。
「入ることは出来ないでしょうか?」と尋ねると、「やめたほうがいいでしょう」ということで、ここだけは諦めざるを得なかった。


河内集落です。
河内風穴の300mほど手前のお寺のところにこの標識があります。

しかし私は昔、この先、今畑への別れまではマイクロバスで入ったことがあるのですが・・・


妛原(あけんばら)集落です。


霊仙入谷の倉庫群です。

ここも後谷同様、以前は「にゅうだん」と読んだようですが、現在は「にゅうだに」と表記されています。
ここに限らず、このように地名がゆがめられるケースを滋賀県内でも多く見かけます。


霊仙落合です。

ここは本線にあるため、これまでにも何度か訪れています。

写真右端のセミナーハウスのような建物には、玄関前のベニヤに「警察捜査中」と、大きく書かれているのが印象的です。

これも不法侵入や窃盗があるためだろうと思うと、残念です。
集落の中心には落合神社があります。

こちらは手入れされていて、きれいな状態を保っています。


小学校跡です。
芹谷の中心部「栗栖」へ戻り、旧脇が畑村の廃村杉に向かいます。

入口はこの橋。

多賀大社の奥宮の入口でもあります。


多賀神木と書かれた石柱が立っており、入山禁止の標識もあります。
杉の入口です。


一番手前には懐かしいバイクが廃棄されています。
光明寺というお寺の跡のようです。

この前が広場となっていて、杉集落の中心だったことを伺い知ることが出来ます。


広場に隣接する高台に廃屋が並んでいます。
そんなお屋敷の1軒に、キーのついたままの、懐かしいバイクが・・・
床は抜け、荒れ放題です。
杉を後にし、保月へ向かう途中、高室林道を発見。

砂利ダートに入ってみました。


入るとすぐ苔に包まれた、なんとも風情のある懐かしの廃車が1台。
林道本線終点近くから、Uターンするように、枝線林道へ入ってみました。

ガレガレ道は、ところどころ日陰では苔の絨毯に。
動物の毛らしきものが。

色から見て、カモシカのものでしょうか?
枝線林道は高圧線の下、尾根の手前で唐突に終了していました。

(MAPには道が載っていませんが、この終点は高圧線の真下であり、地形的にはほぼこのあたりで間違いないでしょう)


本道までゆっくり戻り、保月へ。

途中の祠には4本の立派なスギが。


保月の中心部にある、旧小学校跡です。


役場跡付近から見た、お寺です。
保月から権現谷林道に向かう途中は相変わらず落石が酷く、走行には最新の注意を払います。

また途中にはこの暖冬でも雪が残っています。
五僧です。

この日はもう1人、車で訪問している方がいらっしゃいました。
昨年来た時未舗装だった五僧峠の岐阜県側ですが、今ではすっかり舗装されていました。2車線ではなく破線の右側は路肩です。
昨年11月の五僧峠岐阜県側

峠を岐阜県時山方面に下りていくと、1kmちょっとで舗装が途切れ、通行止めのバーが。

良く見ると、裏向きである。

今回通行止めではないところから入ってきているのに、出口で通行止め箇所の中にいるケースが何度かあります。
反対側へ行くと・・・

未舗装の岐阜県側から来ると、舗装が始まるここから先が、「あぶないからはいってはいけません」と書かれても・・・??
どうにも納得いきませんが・・・


元の権現谷林道に戻り、国道306号大君ヶ畑へ向かいます。

国道を右折すると、本日2度目の通行止めの中!!
いい加減な通行止めで、こんなに暖冬ならば、もう少し早く冬期閉鎖を解除してもいいと思いますね〜。。。


大君ヶ畑の覆道は避けて、隣の川沿いを走行しました。

抜けてから気がついたのですが、ここ、歩道だったようです。


佐目トンネルの三重県側から旧道を入ることにしました。


この手前に橋があり、その先には鉱山の作業所のようなものがあります。

で、ここは橋を渡らず川沿いに直進します。

こちら側には通行止め等の標識はありません。
すぐにまともな道ではなくなり、本日最大の難路となりました。


標識がかつて道路だったことを証明していますが、もはや道路の面影はほとんどありません。
草に覆われだしてきました。
そして・・・

崩落し、中は空洞になっています。

ここを行くのは極めて危険であるが・・・

山側の地盤はどうやら川まで達しているようなので、意を決してバイクで走行しました。
渡りきって振り返ると

恐恐恐恐恐恐恐恐・・・・・

自分の場合、体の左側が崖になっていてもさほど恐怖を感じませんが、右が崖だととても通れなかったと思います。
こういうのにも右利き・左利きがあるように思えます。
最大の難所はコレ!

落石の左側に人1人が通れるだけの踏み跡が。

ここも左が崖だったため、何とか恐る恐る乗り切りました。

この先、どうなるのかと。
もはや道路ではありません。
蛇を模したと思われる塀のあるところに出ました。

ここまで来るともうまとも? な道です。

休憩所であったことは間違いないようだが、いったいどうしてこんな趣味の悪いものを作ったのだろうか?
日タイへび供養塔? と書かれているようですが・・・
更に進むと「佐目風穴」と書かれていますが、足場の悪そうな崖を降りないといけないようでPASSしました。
そして佐目トンネルの琵琶湖側にようやくたどり着きました。

本日3度目の、通行止めルート逆走でした。

反対側にはそんな標識なかったのですが・・・


高取山ふれあい公園への道ですが、途中林道が左へ分かれています。

今日は無視して・・・


ここにもありました。

懐かしの2tベースのトヨタコースターです。
高取山ふれあい公園に来ました。

山間にバンガローやキャンプ場、アスレチックなどいろんな施設があるようで、シーズンには賑わいそうな感じでした。
しかしこの日止まっている車はオフシーズンのためか、スタッフのものだけではないかと思われました・・・


元の道へ戻り、今度は萱原という集落へ行ってみました。

集落の手前のバス停には何でしょうこれ?


もっとこじんまりした集落かと思っていましたが、結構大きな集落でした。
集落の中心には萱原神社があります。


この道も萱原の先から、3月20日まではお決まりの通行止めの標識が。

しかしこの先は1月に走行できることを確認済みなので、進みます。


早春の大萩集落です。


紅梅でしょうか?

たくさん咲いていました。
これはふつうの梅。
そしてその大萩集落を見下ろすポイントで。

やはり夕方は逆光でだめです。
以前から気になっていた、山間の施設。

何だろうと思っていたのですが、どうやら野外ステージのようです。

いったいこんな山奥にどうして・・・?


逆光の永源寺ダム湖を見て本日は終了!


     
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